神幽現救世真光文明教団神幽現救世真光文明教団

9.当教団に下された4つの業(わざ)

1.真光の業(まひかりのわざ)
神界(7次元)から降り注ぐ神の光を「真の光(まのひかり)」という(人間には見えない)。釈尊やイエスキリストなどは、神から許されてこの光を掌から放射させて人の病気を治したりした。真の光は体内の毒素を溶かし、その結果清浄化により健康になる。これを「真光の業」(お浄め<おきよめ>・手かざし)という。当教団の立教時に世界真光文明教団に続き神から戴いた。真の光は人間以外の物品等に入った毒を溶かすこともできる。

その形は、施光者が神にお願いしてから掌を患部等にかざすと、真の光が施光者の頭上より下りてきて後頭部から入り、掌から直径約10センチメートルの束となり放射される。

真光の業はこれまで片手で行うのが原則だったが、近年体内に毒素が多く入るようになってきたので、両手を使いこれまでの2倍の光を戴けるようになったのは特筆すべきことである(平成10年3月より)。

真光の業(お浄め)の例両手を使ったお浄めの例

2.神による直接霊査の業(かみによるちょくせつれいさのわざ)
神が人間の体を使って、直接相手の憑依霊が何の霊でどのような目的で憑いたのか等を判断する業である。神には憑依霊の姿が見え直接対話できるので霊査は正確で完全であり、憑依霊がごまかしたりだましたりすることはできない。当教団のみの業。

3.神界の業(しんかいのわざ)
施光者が主神にお願いして許しを得ると、神が施光者の体を使って、受光者・物品等に憑依している、悟るのもいや、苦しくて仕方がない、怨み等、悟る見込みのない悪霊を真の光により袈裟切りにして完全に抹殺してしまう業である。消霊(しょうれい)ともいう。受光者本人は痛くも何ともない。霊の洗礼の1つの手段である。人間に許された最高の業で、かつていかなる聖者にも神は与えず前例がない。当教団のみの業。

施光者が合掌した両手で相手(の憑依霊)に向かってまず袈裟切りにすると、神が施光者の両手から真の光をほとばしらせて、相手に憑依した霊の幽体・霊体・魂までも切る。そして次に施光者が相手の足から順に頭に向かって何回か払うと、両手から出る真の光により相手の憑依霊は完全に消えてしまう。

世界真光文明教団の岡田光玉氏は、1971(昭和46)年に「魂の抹殺」を予言している(昭和49年発行の「寸教1」に掲載)。

4.焼魂の業(しょうこんのわざ)
神界の業でたいていの悪霊は抹殺されるが、それでも神に徹底的に反抗する悪霊があった場合、神が判断して人間の体を使わず、悪霊の幽体・霊体・魂を直接焼き消してしまう業である。この業で解決できない悪霊は1つもない。

この業は神界の業と違い、人間に下された業ではない。

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